どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
月刊フローリストに連載している「考花学のすすめ」を定期的に掲載しております。
正月というとじつは花がふんだんにみられる時期です。家の外ではナンテンやセンリョウなどに代表される真っ赤な実物やサザンカの赤い花が目立ちますが、正月飾りとしての花は他にもいたるところにあったのです。
その代表的な存在が門松という存在です。門松がはたして花とどう関係があるのだろうと首を傾げられるかもしれません。日本人にとってそもそも花は植物の生殖器官である花を指し示すだけの言葉ではなく、もっと広い意味を持っているものだったのです。実がなる前には必ず花が咲きます。実がなることは当然、稲穂の稔りを人々に連想させるめでたきことでした。そこで花はめでたきことの前触れという意味も持っていたのです。言ってみれば門松はめでたきことの前触れなのです。それは正月の本来の意味合いが五穀豊穣を司るを各家庭に招いてその年の豊作を祈願することにあり、歳神様がやってくることはめでたいこととされていたからなのです。そして門松はその歳神が最初に宿る依り代だったのです。愛知県の東北部では門松に使うマツを山に採りに行くことを「花迎え」と呼びました。常緑樹として生命力の強さを感じさせたマツが門松に用いられたのはおそらく平安時代のことだと思われます。同じく長寿を象徴したタケが門松に加わったのが鎌倉時代以降のことと考えられています。
正月の花はほかにもあります。旧暦1月15日は小正月あるいはといわれて正月の第二段階にはいる時期だとされました。この時期には日本の多くの地方で、いっそう強く花を意識した装飾物が作られたのです。東北ではウルシ科のヌルデ、スイカズラ科のニワトコやヤナギなどの枝を削ってケズリバナと呼ばれる造花が作られました。江戸時代末期に活躍した文筆家、は立ち寄った東北の地でケズリバナを見て、雪の中にある花の面白さを書き綴っています。また、ヤナギの枝に紅白の餅玉をつけて作る餅花もこの時期の風物詩です。かつては多くの家の玄関先を飾っていたのです。こうした一連の造花は、やはり歳神様の依り代として作られ、春に先立つ花の開花を人々にイメージさせるためのものだったのです。
花が咲けば咲くほど自然の力が強くなり、稲穂がたくましく成長するに違いない。こうした願いを胸に日本人は古来、門松やケズリバナ、あるいは餅花という「花」に託して思い思いの正月を過ごしてきたのでしょう。
フローリスト連載2012年1月号より
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