どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
月刊フローリストに連載している「考花学のすすめ」を定期的に掲載しております。
イスラム教圏の花文化というと私たちにとって馴染みの薄いものですが、実は花との密接な関係を大切にし、後世のヨーロッパにも大きな影響を与えた文化なのです。それはオアシスの造営から進化した庭園造りに始まり、庭園に育った花々をいかに暮らしにとり入れるかという範囲にまで広がっています。
8世紀来、アラビアからの入植者がイスラム文化を伝え、それ以降ヨーロッパにも影響を与えるイスラム教国として発達したアフリカ北西部にあるモロッコにはいかにもイスラム教圏らしい花の文化が今でも人々の暮らしの中に息づいています。
13世紀からの古都フェスのメディナと呼ばれる広大な旧市街は世界一の迷路ともいわれる魅力ある古代都市です。迷いながら歩くのがとても楽しいところで、そこでは多くの“意外”に出合えます。塀が左右にそびえる小路を歩いていくと、いきなり民家の庭らしきところに出てしまうことも。そこにはオリーブやオレンジなどの果樹に加え、暮らしに欠かせないハーブが幾何学に仕切られた花壇に植えられています。これはアラビア語で果樹が植えられた楽園を意味するリヤドと呼ばれる中庭で、フェスの旧家には特有のもの。家族はここの木陰で客人と憩い、花壇がもたらす恵みは主婦らにとって欠かせないものでした。イスラム教徒は古くから庭園を緑滴る天国の象徴として大切にしてきました。フェスのリヤドはそんな天国の地上における鏡でもあるのです。
イスラム教徒は創造主たるアッラーに敬意を表すため植物を写実的に彫刻したり描いたりすることを嫌いました。植物を表現できるのは神であるアッラーだけだという考えが根底にあったからです。ですから建築物の装飾として花が描かれたとしても、何の花かわからないくらいに抽象化されました。いわゆるアラベスク模様と呼ばれているものです。フェスに残る神学校やモスクには所狭しに花や植物を思わせる意匠が彫刻されています。花をリアルに描くことは出来なかったものの、人々は緑滴る楽園を常に感じていたかったのでしょう。
モロッコでは現在結婚式や贈答品としてフラワーアレンジメントが人気を博しています。旧宗主国フランスの花束を贈る文化に影響を受けたと思われますが、アレンジメント自体はモロッコ風で、その幾何学的形状が建物を彩る抽象化された植物の姿、すなわちアラベスク模様を思い起こさせます。
庭園を楽園としてこよなく愛し、神を尊重しながらも花や緑を暮らしの中に息づかせるモロッコの人々の工夫に人が花に込めた一つの素敵な浪漫を感じざるを得ません。
長い間モロッコを訪れたいと思ってきました。イスラム教の文化に興味があったのです。トルコにも行ったし、インドでもイスラム教文化に触れてきたとは思ったのですが、モロッコ特有のアラベスク模様がふんだんに入った建築物や中世の趣を残す迷路状の街をぜひこの足で歩きたくなったのです。モロッコの街の中でも最大のメディナと呼ばれる迷路状の町を有すフェスを訪れました。
メディナは文字通り迷路で、今まで広いと思っていた道がいきなり狭くなったり、「あれ、さっきここ通ったかな」と思わせるようなミステリアスな雰囲気があったりして面白いところです。迷子になってしまうのだけれど、決して怖くない。人とは絶えずすれ違うし、なによりもそこに地元の人々の生活があるのです。
イスラム教徒は伝統的に庭造りを重んじてきた人々です。『コーラン』の天国が庭のような場所であることも彼らの庭に対する憧れを助長しているようです。イスラム教徒であるモロッコの人々はやはり無類の庭好き。リヤドと呼ばれる中庭付きの住宅を持っている人もいるのですが、それは外の通りからは見えません。しかし、塀の向こうにはオレンジやイチジク、ザクロの果樹が育ち、ところどころにイトスギが植えられた木陰が優しい庭が広がります。
イスラム教徒にとって庭はある時期まで人間と植物がもっとも密接に交わる場でした。13世紀に中国から花器の文化が伝わるまでイスラム教徒は花瓶に花をいけるということをあまりしませんでした。神の姿を模刻したり神の御業を真似したりすることを禁じられたイスラム教徒は偶像や彫刻をつくることはせず、その美学を庭造りやそれとセットになった建築に対して大いに反映することになったのです。
庭に実る果物を口にし、そこでハーブを育て、そこで一家団らんを過ごすといった具合にモロッコの人々にとって庭はとって欠かすことのできない大切な生活の舞台なのです。
フローリスト連載2012年8月号より
日々、花や植物に癒され、ともに生活していく。
花や緑をもっと身近に感じるための情報「植物生活」
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