どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
月刊フローリストに連載している「考花学のすすめ」を定期的に掲載しております。
インドは実にユニークな花文化の宝庫です。もちろん装飾としての花の使用も盛んですが、従来この国では花は神々への供物として重要視されてきました。多くの人々が信仰するヒンズー教では神々が最も喜ぶ贈り物の一つとして花は欠かせず、神々の像にかけやすいガーランド形式のものが花のかたちとしては目立ちます。
そんなヒンズー教の祭の中でもひときわユニークなのがバトゥカマーパンドガと呼ばれる祭です。これは毎年9月から10月の9日間にインド南部のアンドラ・プラディーシュ州の一地域で行なわれる女性が主役の祭です。インド広しと言えどもヒンズー教の祭でこれだけ女性がクローズアップされるのも少ないとされています。
9日間の間、一家の女性たちは摘んだり買ってきたりした花で毎日のように円錐形の盛り花を作ります。ステンレス製の平皿の上に花で層を重ねて作りあげられた盛り花をバトゥカマルと呼び、それを神々に奉じる祭がバトゥカマーパンドガなわけです。ちなみにバトゥカマーというのはバトゥク(命)とアマー(母)という言葉が連なってできた言葉なので、命の母を意味しています。
バトゥカマルは一家の主婦が中心となって作ります。娘たちはその補佐と努め、男たちは花の供給係を買って出てこのときばかりは裏方に徹します。遠くに嫁いでいった娘たちが実家に戻ってきて盛り花作りを手伝うケースもあります。ヒユ科のノゲイトウ、マメ科のハブソウ、ハイビスカス、シクンシ科で蔓性植物のシクンシなどの花が主な花材で、それらの茎を花の部分を表に出すように放射線状に組んでいきます。内部の茎が重なったところに出来た隙間を埋めるために上から葉を押し込んでしっかりと形成していきます。完成した盛り花に綿を着せたり、線香を立てたりもします。
完成した盛り花は通常、家庭の祭壇に飾られますが、祭の最終日には沼や池などがある水辺の聖地へと女性たちによって運ばれてフィナーレたる儀式が執り行なわれます。各家庭から運ばれた大きさも色もまちまちの盛り花が一堂に会する風景は壮観です。美しいサリーに身を包んだ女性たちは盛り花を囲み、それに線香を立てたり、米粒をふりかけたりしながら共に女神を讃える歌を口ずさみます。歌と祈りが終わると、盛り花は沼や池に静かに沈められて自然へと還されます。
この円錐形の美しい盛り花の由来については諸説あって、聖なるヒマラヤの山を模したものであるとか、宇宙の摂理を示した曼荼羅であるとかという説がありますが、一番納得がゆくのはこれ自体が女神の姿を表しているというものです。昔から、この地域では五穀豊穣を司る土地の女神である地母神を信仰することが盛んで、その姿を同じく自然の恵みである花で表わしているのでしょう。だから、地母神と同じ女性である主婦たちがこの祭の主役を務めているのだと考えられます。完成した盛り花に綿で作った衣装を着せる女性たちの優しげな姿から、この美しい盛り花がこの地域の人々にとっていかに大切な存在であるのかが伝わってきます。
フローリスト連載2012年10月号より
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