どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
月刊フローリストに連載している「考花学のすすめ」を定期的に掲載しております。
「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。」悲劇『ハムレット』からのあまりにも有名な台詞。死後およそ400年経っても色あせないイギリスの文豪シェイクスピアの類まれな表現力を感じます。シェイクスピア文学の魅力の一つに作品をより感慨深いものにする植物の引用があります。こともあろうに実家の宿敵たる家の息子ロミオに恋をしてしまったジュリエットは「お願いですからあなたの名字を変えてください。バラの花だって名前を変えたところでその香りは損なわれないのですから」と嘆きます。あまりの悲運ゆえに気が狂ってしまった『ハムレット』のヒロイン、オフェーリアはその香りが記憶力を強めると信じられたローズマリーを手にしながら兄レアチーズに「これローズマリー、もの忘れをしないためのお花。ねえ愛しいかた、忘れないでね」とうつろな調子で語りかけるのです。
ウィリアム・シェイクスピアはイングランド中部の町ストラトフォード・アプオン・エイボンで1564年に生まれました。ここはなだらかな起伏に富んだ田園地帯が広がる風光明媚な土地で、シェイクスピアは幼少のころから豊かな自然に慣れ親しみ、四季の花々を愛でていたに違いありません。喜劇『恋の骨折り損』に登場するキンポウゲの草原は故郷の田園地帯を懐かしんでの場設定だったのでしょう。
花に触発されたシェイクスピアが活躍した16世紀末から17世紀前半にかけてのイギリスは比較的治安も安定し、君主たるエリザベス1世の植物好きも功を奏して、園芸ブームの真っ盛り。ジョン・ジェラードによる『薬物誌』、ジョン・パーキンソンによる『地上の楽園』など、薬草や園芸をテーマとした植物誌の二大金字塔が記されたのもこの頃のことです。ですから庶民も花や植物に興味津々でしたし、その人々のための娯楽作品を書いたシェイクスピアが花を作品に象徴的に盛り込んだことはいわば必然だったのです。
パンジーの原種がサンシキスミレ。これはうつむいたように咲く花が謙虚さを思い起こさせ、やがては忠誠心の象徴となって、いつしか恋の花に結び付けられました。名作『夏の夜の夢』では、これが登場人物らを翻弄する惚れ薬の原料として出てきます。いたずら好きな妖精の王オーベロンは妻タイテーニアを翻弄しようとサンシキスミレから採れた惚れ薬をまぶたに塗ろうとするのですが、それが波乱を呼んで・・・。
時におかしく、時に悲しく、花に人々の夢をのせて、シェイクスピアは文学を紡ぎました。それこそが彼の文学の色あせない魅力なのでしょう。
フローリスト連載2013年7月号より
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