どうして人は花が好きなのか、なぜ花に意味を持たせるのか。
月刊フローリストに連載している「考花学のすすめ」を定期的に掲載しております。
紅葉した京都に出かけたことがあります。とあるお寺の欄干の端に立ち、所々が紅に染まった小山の尾根を眺めていると後ろの方から「あのう、見えないんですけれど・・。」背の高い者にとっては、ちょっぴり苦い経験のある紅葉狩り。それだけに思い出深い紅葉狩り。やはり日本の紅葉は見事です。
紅葉狩りと言えばやはりカエデの葉。漢字で書くと楓。木に風とは秋風を感じさせる粋な漢字、などと思ったら楓とは日本と中国では全く違う樹木を指すのでした。中国では楓とはマンサク科の大木、いわゆるフウで、これは三つに裂けた大きな葉が印象的。いっぽう日本で楓と言えば、あのカエデ科のカエデ、一般にはモミジとも呼ばれる樹木です。この二つの樹木は科も違えば、大きさも違います。似ているのは葉に裂け目が入っていること。それと秋になるとその裂けた葉がきれいに色づくこと。
中国にもカエデが自生していますが、秋になると人々の注意を引いたのはやはりフウ。それもそのはず、フウの葉は美しい黄に色づきます。黄色と言えば中国では高貴な黄金を象徴する色。そのようなわけで中国では紅葉ではなく黄葉であり、古くから中国の人々は金に見立てたフウの黄葉を眺めては満ち足りた気分を味わったのでしょう。
こうした秋の葉の彩りを愛でる習慣が中国から日本に伝わったのが奈良時代のこととされています。ですから当初、日本人は色づく木々の葉を黄葉と呼び表していました。しかし中国の秋の景観と日本のそれとは少し趣が違っていました。日本のカエデの中には葉が深い紅色に色づくものがあって、それが山河にひときわ美しい色のコントラストを添えていたのです。平安時代になると日本ならではの文化を前面に押し出した国風文化が芽生え、その際、カエデが醸し出す秋の色合いはあらためて紅葉と書き記されることとなったのでした。
さて、モミジとカエデの関係です。繰り返しになりますがカエデはその多くが秋に紅色に染まるカエデ科の樹木のことで、その葉がカエルの足のように切れ込みがあることからカエル手と呼ばれ、それが訛ってカエデとなったとされています。いっぽう紅葉の漢字があてられているモミジですが、これは紅葉する樹木全般を指し示す語とも、カエデ科の一部の樹木を指し示す語とも言われますので、その真意は極めて複雑です。
いずれにせよ、黄、茶、緑がおりなす秋の山間に紅の斑点を見出せる喜びを、できることならば今年も、いや未来永劫噛みしめたいものです。
フローリスト連載2013年11月号より
日々、花や植物に癒され、ともに生活していく。
花や緑をもっと身近に感じるための情報「植物生活」
景介校長の考花学も掲載してます!